大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和44年(ワ)8342号 判決

原告 大谷米一

右訴訟代理人弁護士 飯沢重一

同 松嶋泰

同 上条文雄

被告 大谷重工株式会社

右代表者代表取締役 打浪吉朝

右訴訟代理人弁護士 輿石睦

同 松沢与市

同 藤内博

同 村田浩

同 雨宮真也

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金一億七、〇〇〇万円およびこれに対する昭和四四年六月二六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は被告会社の専務取締役であったが、その在任中であった昭和四〇年から同四二年までの間に、被告会社に関税法違反容疑があったとして東京税関から調査を受けることになった。

2  そこで、被告会社と原告は、右事件の処理方法につき協議した結果、昭和四四年一月二五日原、被告間において、①事件を行政処分を受けることにより解決するよう努力すること、②予想される通告金約二億円は、原告が被告に代って立替支払うことの合意が成立した。

3  しかして、昭和四四年四月一八日東京税関長より、右関税法違反事件の通告金として被告に対し一億七、〇〇〇万円を納付すべき旨の通告処分を受けた。

4  原告は第2項の約旨に従い、同年四月一八日被告のために右金額を東京税関長に納付した。

原告は被告に対し同年六月二〇日到達した書面によって五日以内に右金員の返済をなすべき旨催告した。

よって、原告は被告に対し金一億七、〇〇〇万円およびこれに対する弁済期の翌日である昭和四四年六月二六日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因第2項の②の合意成立の事実を否認し、その余の事実は全部認める。

三  抗弁

1  被告会社が、昭和四四年四月一八日東京税関長から一億七、〇〇〇万円の通告処分を受けた関税法違反事件の内容は、「原告が、被告会社の専務取締役として在任中、被告会社の業務行為として、被告会社の社員である荒木立夫、同白鳥善重、同島田正治、同鈴木昭二郎らと共謀のうえ、被告会社東京工場に蔵置中の保税加工製品たる外国貨物の鉄鋼板および棒四万四九三七・二五四トンを、昭和四〇年六月一九日から同四一年四月三〇日までの間に税関の輸入許可なく右工場から引取り、もってこの関税一億九、三二六万一三二〇円の納付を免れたものである。」ということである。

2  被告会社は、前記1の輸入貨物の関税として、昭和四四年四月一八日までに本税金一億九、四〇一万八、一〇〇円を、延滞税として金五九二万三、六〇〇円をそれぞれ東京税関に納付した。

3  ところで本件金員は前記1の貨物を関税を支払うことなく輸入した関税法違反事件として被告会社が通告処分を受けたので、その通告金を原告が被告会社に代って納付したものである。

したがって、被告会社は本来の関税を支払ったほか、右通告金の支払を命ぜられたものである。

そして右関税法違反事件は、後記4のとおり原告が被告会社の取締役として在任中に故意または過失によって法令に違反した行為をなしたために発生したものであるからして、被告会社は原告に対し商法二六六条一項五号の定めにより通告金相当額の金一億七、〇〇〇万円の損害賠償請求権を有する。

よって被告会社は原告に対し右損害賠償請求権を自働債権とし、原告主張の本件債権を受働債権として昭和四四年一二月九日の本件第三回口頭弁論期日において相殺の意思表示をした。

4(一)  原告の被告会社における地位、権限について

原告は、当時被告会社の専務取締役として、被告会社の本社及び東京工場(旧称羽田工場、以下単に被告工場という。)の経営に当っていたものである。

原告は、右被告会社の経営について、その営業関係及び資金関係につき、一切の権限を有して、すべての事項につき自己のみで決定処理してきた。

(二)  保税工場許可について

被告工場は、丸棒、型鋼、厚板等の鋼材の製造をなす工場であるが昭和三七年三月頃、原告の指示により、鋼材輸出が検討され、被告会社の営業部原料課長であった荒木立夫が、右鋼材輸出の利点を研究し、その結果、保税工場制度の利用による輸出製品(鋼材)のコスト引下げを計り、国際的販売力を高める目的をもって、同年五月七日、東京税関長に対して保税工場(関税法第五六条一項)設置の許可申請をなし、同月二六日、右税関長の許可を受けた。

(三)  保税工場の機能について

(1) 保税工場の利点

一般に保税工場の許可を受けない場合には、製鋼のために外国貨物である原料銑鉄又は屑鉄を使用するためには、右原料銑鉄ならびに屑鉄につき、輸入手続が必要であり、そのため原料銑鉄については関税の支払が必要とされるものである(屑鉄は免税品)。

これに反して、保税工場の許可を受けた場合には、右外国貨物たる原料銑鉄を使用する場合であっても輸入の手続が不要であり、しかも、製造された鋼材は外国貨物であるから、これを海外に向けて積み出すことは輸出とならないのである。

したがって、保税原料について輸入とならず関税支払が不要となることから保税工場制度の最大の利点は関税分のみ製品コストが引下げられる点にある。

また保税原料たる銑鉄を使用した場合には、内国貨物たるスクラップとの混銑率(保税原料の銑鉄を混ずる率)に応じた鋼材のみが外国貨物となるので、その余の分を内国貨物として国内向けに使用しうるので国内向けの鋼材コストをも引下げることができる。

(2) 保税工場の手続について

保税工場においては、保税原料の搬入について、移入承認を、製品の搬出については積もどしの許可を、保税原料を国内で使用する場合および保税製品の国内引取りについては輸入許可をそれぞれ税関長より受ける必要がある。

しかして、被告の関税法違反事件は、後述の事情により、右許可又は承認を受けなかったことによるものである。

(四)  被告会社の生産会議について

(1) 右会議設置の時期及び目的

右会議は、昭和三七年頃被告工場が東京税関長より保税工場の許可を受けた前後に設置され、毎月一・二回開催されて来たものである。

右会議の目的は、当月の生産実績の検討及び予想、翌月の生産計画の樹立、販売実績の検討及び販売計画の樹立並びに資金関係についての検討及び予想である。

(2) 右会議の出席者

右会議は原告が主催し、本社側から永沢嘉巳男常務(当時、以下同じ)、木城正雄経理部長、吉江鋼材営業部次長、白鳥善重販売課長、荒木原料課長等約九名が、工場側から会沢工場長、松岡管理部長、島田総務部長、鈴木倉庫課長等約一〇名が各々出席していたものである。

(3) 右会議の状況

右会議においては、主として原告が発言して、部下に対する質問又は指示を与え、その余の出席者は単に右質問に答え、又は命令を受領するのみであった。

前記生産計画、販売計画、資金計画等の樹立は、まったく原告の一方的な決定によったものである。

(五)  被告会社の資金関係について

被告会社の資金関係もまた、原告がすべて決定し、右原告の決定ないし指示に基づき具体的な支払等については、当時の木城経理部長が処理して来たものである。

(六)  関税法違反事件発生の過程

(1) 昭和三七年五月に被告工場が東京税関長から保税工場の許可を受けた頃から、昭和三九年後半までの間は、鋼材の海外市況が好調であったので、保税原料たる銑鉄等の使用により出来た鉄鋼製品の積もどしも順調に行なわれ、関税法違反事件の発生はなかったものであるが、その後昭和四〇年前半頃より、鉄鋼の海外市況が悪化し、特に同年後半からは右市況の悪化は著しいものとなって来た。

このため、鉄鋼製品の価格は輸出価格の方が国内価格よりも廉価となって来たのである。

(2) そこで原告は、その頃、保税原料の国内製品向けへの使用又は保税製品の国内向け転用には関税支払の義務あることを認識しながらこれを支払わずして右原料又は製品を国内向けに転用することを各担当部門に対して指示したものである。

(3) さらに原告は、右原料又は製品の国内向け転用の具体的な出荷についても、一々直接出荷指示書に自ら捺印してこれを指示していたものである。

(4) 右のように保税製品等の国内転用により関税支払の必要が生ずるのであるが、前述のごとく、昭和三九年までは、鉄鋼製品の積もどしが順調であったので、関税支払分は少なかったため原告の指示によって木城経理部長は所定の原料購入資金枠とは別枠で処理する旨の指示を原料課になしており、そのため、あらかじめ資金計画に関税支払予定を組込む方法は取っていなかった。

もっとも、荒木原料課長は、前記のように昭和四〇年度の輸出不振を予想し、同年度分の関税支払予定分につき、昭和三八、三九年度の実績から保税原料たる銑鉄の約三分の一が要関税支払分と判断して経理部長を経て原告に申入れをなしていた。

(5) 右のように保税製品の国内転用により、当然関税支払の必要が生ずるのであるが、原告は資金関係についての最高責任者でありながら右関税支払につき何等の考慮も対策も行なわなかった。

すなわち、荒木原料課長は、被告工場倉庫課からの要請に応じて国内転用をなした銑鉄または鉄鋼製品についての関税支払を、直接原告に、又は木城経理部長を通じて再三にわたって請求して来たのであるが、原告は、原告の指示を受けた右経理部長をして前項のように昭和四〇年度分についての関税支払予定を提出されてその必要性を熟知しているのに、右関税支払要求を全て却下せしめて来たものである。

そこで荒木原料課長は、少しでも関税支払分を減少させるために、白鳥販売課長に対して輸出を行うように要請し、右白鳥は右要請を受けて、永沢常務を通じ、また直接に、原告に対して輸出を行うように要請したが、原告はこの要請に対して、「損をしてまで輸出は出来ない」と言い、さらにその後の生産会議において、国内向けの製品の生産が指示され、右白鳥の要請はまったく無視されたのである。

(6) 以上のように昭和四〇年度についても、関税法違反行為が行なわれて来たのであるが、さらに昭和四一年度に入ると、一層海外市況が悪化し、昭和四一年五月二八日開催の生産会議において、同年七月以降の一切の輸出受託を停止する旨、原告から指示され、輸出は一切停止されてしまったのである。

よって、昭和四一年頃は、保税原料たる銑鉄は全て国内向けに転用されてしまった。

(7) 原告は、以上のように保税原料たる銑鉄及び保税原料の国内転用を強行し、これに伴う関税支払の義務あることを認識し、しかも部下から再三に渡って関税支払及び輸出を要請されたにもかかわらず、関税の支払を停止し、輸出も禁止した。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁第1項の事実中、被告主張のとおり東京税関長から犯則事件について通告処分を受けたこと、および通告処分の内容のような外形的事実のあったことは認めるが、原告自身が、或は原告が社員と共謀してその主張のような犯則行為をしたとの事実は否認する。

2  同第2項の事実は認める。

3  同第3項の事実中、原告に故意過失があったとの主張事実は否認する。商法二六六条一項五号の主張は争う。

4  同第4項(一)の事実中原告が取締役であったことは認めるが、その余の事実は否認する。

昭和四三年五月一九日大谷米太郎が死亡するまでは同人が被告会社の代表取締役社長であり、大谷孝吉も昭和四一年二月からは代表権のある取締役となったが、原告はついに代表者に就任したことはなかった。したがって、内部的にも外部的にも被告会社を切りまわす地位も権限もなかった。

同第4項の(二)(三)の事実は認める。

同(四)の事実中、原告が生産会議の主催者であったことは否認し、その余の事実は認める。

同(五)の事実中経理部長に指示したのは大谷米太郎である、その余の事実は認める。

同(六)の事実中、原告が指示したとの点、荒木らから関税処理について申し入れを受けたとの点、資金関係の最高責任者であるとの点はいずれも否認する。

五  再抗弁

原告が通告金の立替支払をしたのは、被告会社の取締役会の決議に基いて、被告会社の依頼により、同社の支払うべきものを一時原告が支払う旨の合意が成立したからであって、右事実からすれば被告会社は損害賠償請求権を行使しない旨を表明したことになる。

仮りに右主張が理由がないとしても、原告は被告からの依頼があったので、これに応じて支払ったものである。したがって、前言をひるがえし、相殺の主張をするのは禁反言の法理に反し許されない。

六  再抗弁に対する認否

否認する。被告は昭和四四年三月二七日本件について輿石弁護士に相談するまで、原告に対する損害賠償請求権を有することを知らなかったのである。

第三証拠≪省略≫

理由

一  昭和四四年四月一八日、被告会社に対し東京税関長から関税法違反事件の通告金として、金一億七、〇〇〇万円を納付すべき旨の通告処分があり、原告が同日右金一億七、〇〇〇万円を、被告会社のため東京税関長に納付したことについては当事者間に争がない。

そこで、原告が右金一億七、〇〇〇万円を納付するについて、原被告間に立替支払についての合意があったか否かについて判断する。

≪証拠省略≫によれば、昭和四三年五月頃被告会社の関税法違反事件が東京税関により摘発され、このままでは告発を受け刑事々件として相当多額の罰金を支払わなければならなくなるおそれがあったので、それをさけ、なんとか通告処分という行政処分で事件を解決するのが得策であるということが関係人の間で一致し(この点については、当事者間に争いがない)、その頃被告会社は、大蔵省の出身である古海忠之に対し、右の趣旨を話して、通告処分で解決できるよう依頼した。

そこで古海が大蔵省や東京税関と交渉した結果、東京税関では通告処分で事件を処理する旨内定したが、当時被告会社では経営的に苦境にあったため通告金の納付ができる見通しがなかったので、昭和四四年一月二三日被告会社では取締役会にはかって、通告金を原告に立替支払ってもらうことに決定し、原告もこれに同意したため、同年四月一八日原告が被告会社の通告金一億七、〇〇〇万円を東京税関長に納付した。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

二  相殺の抗弁についての判断

1  被告会社が、昭和四四年四月一八日東京税関長から関税法違反の通告金一億七、〇〇〇万円を納付すべき旨の通告処分を受けたこと、その犯則事実の要旨が、当時被告会社の取締役であった原告および被告会社の社員が、昭和四〇年六月一九日から翌四一年四月三〇日までの間に、税関の輸入許可なく外国貨物を引取って、この関税をまぬかれたとするものであること、被告会社は前記貨物の関税を同四四年四月一八日までに税関に納付していること、前記の通告金一億七、〇〇〇万円が右関税以外の納付金であること。(関税法違反の外形的事実があったことについては争がなく、それについて原告自身がその行為をしたか、或は、原告が社員と共謀してその行為をしたとの主張については原告は争っている)

以上の事実については当事者間に争がない。

2  従って、本件での争点の中心は、原告に商法二六六条一項五号の責任があるか否かにあるので、この点について検討する。

(一)  ≪証拠省略≫によれば、被告会社は資本金約八、六〇〇万円、従業員約二、〇〇〇名を擁し、東京本社のほか、東京地区に東京工場(旧称羽田工場)・深川工場を、関西地区には尼崎工場を有し、製鉄や圧延等を目的とする会社であるが、同社は大谷米太郎が、大正六年東京ロールとして設立し、それが母体となって、昭和一四年に大谷重工株式会社と発展し、同四三年五月一九日大谷米太郎が死亡するまでは、その株式の九七パーセントを同人を中心とする一族で保有していた同族的会社であった。

原告は右米太郎の子であって、戦前から被告会社の取締役にはなっていたものの、その頃は被告会社の仕事を担当したことはなかったが、昭和三〇年頃からは取締役として東京地区の本社や工場の仕事を担当するようになった。

もっとも被告会社は前記のような設立経過から大谷米太郎のいわゆるワンマン会社であったが、同人が昭和三六年頃からホテル・ニューオータニの建設に着手したため、同人はその方に専念し始めたので、その後は、関西地区は米太郎の弟大谷竹次郎が、東京地区は原告の兄大谷孝吉が担当してきた。しかし、孝吉は技術畑出身であったので、主として工場の生産や技術面を担当し、原告が本社や東京地区の経営面を担当していた。

しかし昭和四一年頃になってからは、関西地区を担当していた大谷竹次郎に代って大谷孝吉が同地区を担当するようになったので、原告は東京地区の本社・工場の生産、営業等を全般的に統轄するようになった。

(二)  保税工場について

(1) ≪証拠省略≫によれば、被告会社では昭和三七年三月頃から鋼材の輸出を積極的にすることになり研究の結果保税工場の許可をえることが得策であることが判明したので、原告の最終決定にもとづき、同年五月七日東京税関長に対し被告会社の東京工場について、保税工場としての許可を申請し同月二六日右許可を受けた。

(2) 保税工場制度の利点としては、一般に、製鋼原料の銑鉄を輸入するについては輸入許可が必要であり、そのためには関税の支払が必要とされるが、保税工場として許可されると、外国から銑鉄を輸入する場合でもその手続が不要であり、しかも製造された鋼材は外国貨物であるから、これを外国に積み出すこと(積みもどしという)は輸出とならず、従って関税の支払が不要であり、その分だけ製品コストを引下げることができる点にある。

また、外国貨物である銑鉄と、内国貨物であるスクラップを混鉄使用として鋼材を製造した場合においては、銑鉄の混鉄量分のみが外国貨物となり、スクラップの混鉄量分の鋼材は内貨として国内向けに販売できるので、国内向けの鋼材コストも引下げることができる。

(3) その代り、保税工場においては、保税原料(主として銑鉄)の搬入に際しては移入承認手続を、製品の搬出については積みもどしの許可を、保税原料を国内で使用する場合、および保税製品の国内引取りについては輸入許可申請手続をそれぞれ税関長にしなければならない。((二)の(2)(3)の事実については当事者間に争がない。)

(三)  被告会社における生産会議について

≪証拠省略≫によれば

(1) 被告会社では、昭和三七年頃から毎月一、二回東京工場において生産会議を開催してきた、右会議の目的は、当月の生産実績、翌月の生産計画、販売実績や販売計画、資金関係等の検討や予想についてである。

(2) 右会議は大谷孝吉が東京にいた当時は同人が議長となってはいたものの、同人はあまり経営面にタッチしていなかったので主として原告が中心となり、孝吉が関西地区を担当するようになってからは、名実ともに原告が議長となり、本社からは永沢常務取締役(当時以下同じ)木城経理部長、吉江鋼材営業部次長、白鳥販売課長、荒木原料課長等が、東京工場からは、会沢工場長、松岡管理課長、島田倉庫課長(前任)、鈴木倉庫課長(後任)等が出席していた。

(3) しかしその状況は、会議というよりも、むしろ原告の意見を出席者が聞くという形式に近く、出席者は原告の質問に応じて答弁する程度のものであり、生産、販売、資金等の計画のほとんどが原告の一方的意見によって決定され、ことに資金面については原告と木城経理部長の二人で決定した。

(四)  関税法違反事実発生の経過

≪証拠省略≫によれば、

(1) 被告会社では、鋼材の主原料である銑鉄は、一〇〇パーセント輸入にたよっていたが、昭和三七年度の輸出は五、一〇七トン、同三八年度は六万五、〇〇〇トン、同三九年度は七万二、〇七一トンと順調であったので、関税の支払は少額で足りていたため、資金計画の中に関税支払分として組込む方法はとっていなかったが、昭和四〇年後半に至り輸出が困難となり同年度の輸入銑鉄の量が約一一万トンであるのに、輸出分は約七万トン、残り約四万トンを国内向け引取り分としたが、前記のとおり、資金計画の中に関税支払分を組込んでいなかったことや、被告会社の資金ぐりが苦しかったことも重さなって関税支払が困難となり、約七〇〇〇トン分の輸入許可をえたのみで、残りは輸入許可なく国内向けに引取り出荷した。

(2) そこで荒木原料課長は昭和四〇年後半頃に至り、原告に対し、関税支払分について資金手当をしてほしい旨申し入れたが、当時はまだ輸出が著しく下火にはなっていなかったこともあって、原告から関税台帳上の在庫の記載を操作して、なんとかやりくりするよう指示されたこともあった。

またその頃荒木から営業課に対し、輸出を積極的にやって、関税台帳上の在庫量と、実在庫のギャップを少しでも埋めて関税法違反の事実を無くするようにしてほしい旨要望があったので、営業担当の永沢常務、吉江次長、白鳥課長らが原告に相談したこともあったが、その頃外国の市況悪化のため、輸出をすると相当の損失が見込まれたので、見合せるよう指示されたりした。

(3) また前記(1)で認定した昭和四〇年度の七、〇〇〇トン分の関税の納付は二回に分けてしたものであるが、その資金支出に際しても原告は荒木に対し、一般の税金でも、金の無い時には払えないものを、まして関税の場合には輸出をしているのだからそんなに払う必要はないのではないかとの発言をしたこと、更らに、関税未納付額が約七、〇〇〇万円に達した際にも原告は荒木の報告に対し、そんな金額を一度に支払ったら会社がつぶれてしまうと返答したこともあった。

(4) 前記(1)認定のとおり、関税支払分は別枠になっていたので、当時は、関税支払の必要が生じた都度、荒木から木城経理部長の方に、関税支払承認を求めていたのであったが、昭和四〇年になってからは、ほとんどその承認がえられなかったため、関税台帳上の輸入原料の在庫の記載と、実在庫のギャップが大幅になり、それを埋めることがほとんど不可能と考えられたため荒木は資金計画の中に関税支払分を組込んでほしい旨要望したこともあった。

(5) 本件関税法違反事実の発生当時の、被告会社における鋼材の販売方法は、国内や外国の商社から引合があると、それを販売担当者にまわし、担当者から次長、常務、原告の順に決裁をえて契約を成立させ、その後の事務処理として、乙第一五号証と同種の出荷指示書(五枚一組)を担当者が作成し、前記の順序で決裁を受け、それが終ると出荷指示書を、販売課、経理課、工場、製品課に各一部宛配布する仕組になっていた。

(6) また、その頃の被告会社における金銭の支出については、木城経理部長の承認をえることは勿論であるが最終的には原告の承認をえた上で、同人の押印のない限り、手形や小切手の発行ができないことになっており、ことに関税の支払については、担当者が原告に呼ばれて詳細な説明をしてからでないと支払承認をえられない状況になっていた。

(7) しかし、昭和四一年度になってからも、海外の鉄鋼市況が好転せず、海外に対する販売価格よりも、国内に対する販売価格の方が高いという逆ざや現象が続いたり、当時被告会社では経営状態悪化のため、会社資産の一部を売却したりするなどの状態が続いたので、関税の支払をなすことなく、ついに昭和四一年五月の生産会議において、今後は特別の商談を除き、輸出は一切中止する旨の決議がなされ、以後は、商社を通じて原材料を輸入するようになった。

(8) なお、≪証拠省略≫によれば、原告、鈴木昭二郎、島田正治、白鳥善重、荒木立夫の五名は、本件関税法違反事件について、被告会社とは別に担当者個人として、被告会社と同様に東京税関長から通告処分を受けている。

以上の事実が認められる。

(9) これに対し、≪証拠省略≫中には、大谷米太郎生存中は、同人は、金銭については他人にまかせることがなく、ホテル・ニューオータニ建設中にも、原告や木城経理部長をホテルに呼びつけて、一つ一つ細かに指示を与えていた旨の証言部分や原告本人尋問の結果中には、米太郎は、それぞれの担当者を呼びつけて個々的に指示していた旨の供述部分があるが、一方同本人の供述中には、米太郎から指示があったのは、月々の資金需要とか、相場に関してである旨の供述部分があることや、前掲各証拠と対比すると、右米太郎が原告や部下に指示した部分というのは、全体的な事項とか、重要な問題に関してであることが認められ、従って、右証言や供述部分は、前記認定の妨げになるものではないし、他に右認定を否定する証拠はない。

以上認定の事実によれば、原告は昭和三七年頃からは被告会社の本社や東京地区の工場の経営全般について指揮監督の任に当っていたものであり、ことに原料の輸入製品の販売、その間の経理問題や納税等についても原告自身でチェックしており、更らに加えて原告自身が通告処分を受けて通告金を納付していることを併せ考えると原告は本件で問題となっている関税法違反の事実(鋼材等を輸入許可なく国内に引取ったこと)についても充分了知していながら、部下に対し、国内引取りを指示あるいは承認していたと推認するのが相当である。

この点につき、原告は、前に認定したように、荒木課長から関税を支払ってほしい旨の要望を受けたり、関税台帳上の在庫と実在庫との間にギャップがあり、それを埋めるためには輸出を積極的にやる以外に方法がない旨の進言を営業担当者から受けながらこれらに耳を傾けず国内向け販売の方針を採用したというのであるから、鋼材等を国内に引き取った関税法違反の事実につき、原告自身あるいはその個々の具体的な点まで認識していなかったとしても、なお、原告が被告会社の取締役として無許可輸入の事実を知りながら関税を納付しなかったという右関税法違反の行為をしたものと認定するを妨げない。

もっとも≪証拠省略≫によれば、原告は右関税の不払は一般の租税と同様に単なる滞納であって、関税法に違反し、刑事処分を受ける場合のあることまでは知らなかったことがうかがわれるが、会社の取締役として、保税工場の利点等について部下に指示して研究させた結果、保税工場としての許可を受けた原告として、これを知らなかったということは、当該制度に対する重大な認識不足というほかなく、そのゆえをもって自己の責任を免れることはできない。

そして、被告会社が本来の関税を納付したほか通告金一億七、〇〇〇万円の納付を命ぜられたことについて争のない本件においては、右通告金は、原告が被告会社の取締役として在任中に故意または過失によって関税法違反行為をした結果、被告会社に同額の損害を与えたことになり、従って特段の事情のない限り、原告は商法二六六条一項五号の規定により被告会社に対し一億七、〇〇〇万円の損害賠償義務を負担しているというべきである。

もっとも、当時海外の鉄鋼市況が悪化していたとか、被告会社の経営状態が苦境にあったとか、原告に同情すべき点がないではないが、それらの事情があったからといって、原告の右損害賠償義務を消滅させるものではない。

三  再抗弁についての判断

1  原告は、被告会社は原告に対し損害賠償請求権を行使しない旨を表明したと主張するが、右事実を認める証拠はない。

2  また原告は、被告会社の損害賠償請求権の行使は禁反言の法理に反する旨主張するのでこの点について検討する。

(一)  前記一で認定したとおり、本件通告金を原告が立替支払うことについて、被告会社の取締役会の決議があったことが認められるが、≪証拠省略≫によれば、被告会社は、昭和四三年七月一〇日会社再建のため大谷一族の役員がほとんど退任し、新役員と交替したものであるが、甲第一号証を作成した昭和四四年一月二五日当時において、関税法違反事実について、被告会社が原告に対し損害賠償請求権を有することを知らなかったが、本件通告処分が内定した同年三月二七日に至り、被告会社の打浪社長と取締役の村瀬康吉が、本訴の被告代理人である輿石弁護士に相談したところ、同弁護士から、被告会社は原告に対し商法二六六条一項五号の規定によって損害賠償請求権を有する旨教示された結果≪証拠省略≫に記載されているとおり、原告との関係は以後弁護士と相談した上で対処することになり、原告に損害賠償を請求する旨伝えたが、当時すでに通告金の額まで内定しており、万一通告金を支払わないで刑事々件にまで発展すると、被告会社は勿論のこと、原告に対する社会的影響も大きいと判断されたので、結局原告が支払わざるをえなかった。

以上の事実が認められる。

(二)  もっとも、≪証拠省略≫中には、大谷哲平が被告会社を相手として株券返還訴訟を提起しているので、本件一億七、〇〇〇万円を無条件に原告に弁済すると同人から異議が出るおそれがあるので、形式上裁判を起してくれといわれた旨の証言ないし供述部分があるが、前掲証拠に対比して採用できないし、他に右認定を妨げる証拠はない。

以上認定の事実によれば、被告会社は一旦は原告に立替支払をしてもらう旨の取締役会の決議はしたが、後日になって原告に対する損害賠償請求権があることが判明したので、本訴においてそれを行使するということであるからして、なんら禁反言の法理に反するものではない。

従って原告の再抗弁の主張はいずれも採用できない。

四  結論

ところで、被告会社が原告に対する前記の損害賠償請求債権を自動債権とし、原告主張の本訴債権を受動債権として、本訴において相殺する旨の意思表示をしたことは記録上明らかであり、そうすると本訴請求の一億七、〇〇〇万円の立替金債権と、被告主張の損害賠償請求債権一億七、〇〇〇万円は対等額で消滅したことになる。

してみれば原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 賀集唱 裁判官 荒川昂 裁判官山川悦男は転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官 賀集唱)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例